24歳

・日記を書いているとその時に思ってことや体調、心理状態を確認できる。それは面白いことでよく自分の日記を読み返すことがある。
・他人の日記はあんまりみたことがないな、今の時代ブログという冗長なものを読んでる暇はみんなあんまりないんだろう。ブログ全盛期にしょこたんTwitterのつぶやきみたいな長さのブログをTwitterみたいな頻度で連発していたし、それがみんなに受けていた。YouTubeでも再生時間5分以内の動画の方が受けているし、有名人の生放送よりも、それの切り抜きして5分ぐらいの動画の方が再生回数を伸ばしてたりする。
・今のSNSの流行的に視覚的で短い方が受けている印象がある、tiktokとかInstagramとか。映画なんてあんなに長い娯楽を見続けることができる人は昔に比べて多くないような気がする。映画館のような一度席に着いたらなかなか離れる気にならないものではなくスマホなどでNetflixを見る時はタップひとつで映画から離れることができるのでみんな簡単に飽きてしまうのではないかと思う。

・そういえばM-1やってた、最近TVを見てなかったので知らなかったが、マヂカルラブリーが優勝してた。「勇者ああああ」って番組で野田クリスタルにハマって一時期めちゃくちゃネタの動画をあさってた。そのコンビが優勝してるとなんだが嬉しいな。
Twitterのトレンドでマヂカルラブリーのネタは漫才なのかみたいな論争がちょっと上がってた。もともと採点基準のない競技に対してそんなこと言うこと自体が馬鹿らしいと思った。ネタの動画が上がってたので見てみたら全然漫才だと思ったんだけど…普段みんなどんなのみているんだ。


・採点基準のわからないものといえば、フィギュアスケートとかもそうだよな、芸術点とかって誰が決めているんだ。オリンピック種目でもあるんだから基準はあるんだろうけど、他の競技のようなタイムみたいな物理的な評価じゃなくて感性での評価になっているんじゃないかって疑いたくなる。

 

今年の漢字「密」、笑った。総括してそれかいって感じだな。まず今年の漢字って本当に謎の文化だよな、誰が言い出したんだろう。誰向けなんだ。
流行語大賞は面白い。今年の流行ったものを振り返ることができてエンタメ性が理解できるが、今年の漢字はよくわからん、納得するものが一文字に収まるわけがないよな。一文字を見て楽しいか?

 

・今月の26日は誕生日でした、24歳。歳の話になると毎回言うことがある「俺って精神年齢が低いな」友達とかはちゃんと働いて、デカい仕事が来たとか、役職が上がったとか。結婚したとか。俺を置いていかないで欲しい。周りの同期ですら少し大人に見えてしまう。自分自身まだそんなに大人になれていない。だから友人たちのダメエピソードを聞くと嬉しくなる。会社を辞めたり、上司に人間性疑われたりしてると「お前も変わらないなぁ〜」って思える。それで酒が飲みたい。

 

人からおすすめされると見るのが嫌になる

・人との会話の流れで「音楽は何聞いてるの?」とか「おすすめの映画とかある?」とか「YouTubeとかでなに見てるの?」とか聞くことがある。この質問を俺はよくしてしまうけど、本当にこの人が好きなものを知りたいわけではなく、この質問をぶつけるほどに私はあなたに興味を持っていますよ、という意思表示のための質問であることが多い。だからかこの手の質問で得た情報は大抵忘れていることが多い。

 

・これらの質問をすると、大抵の人は自分に対して自分の好きなものを勧めるテンションで語り始める。しかし俺は人から勧められたものを試したことがあんまりない。

・勧められて、興味をもった感じを出すと優しい人はその本とかCDを貸してくれることがある。今も家にその本とかCDが家にある。あ、ゲームも借りてたわ。どれも一年以上借りていて一切手を付けてなかったり、途中だったりする。借りると義務感が生まれてしまい手を付けるのが億劫になってしまう。絶対読まないし聞かないしやらないのに、1年以上たって、今さら返して「結局やんなかったっす。」というのは流石に貸してくれた優しき人も怒るだろう。返すこともできないし、やるのは億劫。なんだよ!八方塞がりじゃねぇか!

アマゾンプライムのプレイリストには勧められた映画ばっか入っているが1作品もみていない。しかし消すのも申し訳ないし、次あったときに「勧めた作品みた?」とかいわれたらどうしよう、とか考えてしまい。プレイリストに入っていれば相手に見る意思はあるんだな、っと思わせることが出来るのでいれてある。

 

・「じゃあ、なんでそんな質問をするの?」

・さっき話した意思表示としての質問であるから、質問自体に興味があるわけではない。ただただ会話のカードとして使ってしまっている節もある。

 

・「勧められたときに興味ないって言えばよくない?」

・言えるわけないだろ、相手が好きなものを否定するのはよくないことだよ。乗ってあげるのが礼儀やろ。

 

・「こんなことブログで書いたら人間関係に問題でてくるんじゃない?」

・確かに。このブログを読んだ人と話すときに、俺が人におすすめを聞いたら(こいつ、どうせ試さないくせに...)と思われてしまう。

 

・映画とか音楽とか好きな人に多いが、聞いてもいないのに勝手におすすめしてくる人がいる。いやこの書き方だと嫌な印象を与えてしまうけど、別にそういう話は嫌いじゃないし俺もどちらかというとそういう人間な気がする。こういう人のいいとことは熱量があるところだと思う。人に何かを勧める時に何が有効か考えたら、熱中しているところを見せるのが一番だと思う。おいしいお店の評判を何回も聞くよりも実際においしく食べている所をみせたり、ある映画の講評を聞くよりも観た直後の生の感想を言ったり、あるアニメのいいところを語るよりもそのアニメのコンテンツに対して自分がどれだけ金を使ってきたかを話すほうが俺は興味を惹かれることがある。

・どんだけ食べログでいい店があっても行列が見えている店に入りたくなるのはこの心理が働いているのだろう。

 

・人に何かを勧める時はいいところを言うよりも、自分がどれだけ熱中しているかを話したほうがいいと思う。

 

・とりあえず先輩に借りた本を読も

高校が舞台の漫画ばっかりで嫌になるな

・最近、漫画アプリで「1日1話無料」の漫画ばっかり読んでる。なぜか持ってる漫画ばっかり読んでしまうのはなんでだろう。

・1日1話無料のシステムは結構いいな。徐々に物語が進んでいく様子は少年のころ週刊少年ジャンプを毎週買って読み進めていく感じに似ている。高校の時から好きな漫画は単行本で買って週刊誌を買わなくなってしまったから、子供のころの雰囲気が楽しめていい。

・運営側としては1日1話というスローペースに痺れを切らした読者に一気に読む為に単行本の購買をさせるのが狙いなんだろうが、そんな気一切起こらない。でもアプリに一銭も払わずに利用し続けるのはうしろめたい気持ちになる。何か買おうかな...

 

・今のスマホゲームは基本無料で課金要素が多い、普通のps4やPCとかのゲームでもソフト5000円ぐらいで買っても課金要素がある。基本無料だったらまあ、課金とかしてもいいかなって思うけど、ソフト買ったのにさらにまた金を出さなきゃならんのかと不満に思う。

スマホゲームの課金は一瞬にして金がなくなるな、10連ガチャ3回やったらほぼ1万なくなるんだもんな(ゲームによって変わるけど)。金銭感覚狂うよなあれ。

 

 

・最近、住宅街でゴキブリを追っかけて殺虫スプレーをかける男性を見つけた。俺がそのまま歩いていると、ゴキブリが俺のほうに向かって来ていて、それに焦った男性は結局そのゴキブリを足で踏み潰してこっちの方を見て、ニッコリと笑っていた。俺もその笑みに答えて苦笑いをしてしまった。

・普通に考えたら怖い、その人も俺も。生命を殺しておいてなんで二人で笑い合ってんだよ。でもその時の正解がわからない。なんて言うのが正解だったんだろう、「ナイスキルです」とかいえばよかったのか?どんな心境だよ。

・こういう時のマニュアルが欲しい、普段ゲームはチュートリアルは飛ばすけどこの現実での正解のわからない状況に対しては正解を教えて欲しい。

 

 

 

「哲学かよ」って突っ込む奴ら

・ちょっと深い話や、常識を疑ってみたりすると、「哲学かよ!」ってツッコむ友達居ませんでした?私の周りにはたくさん居ました。そうゆうやつって大抵浅いやつだよな

・そもそも哲学って何?大学の哲学科に通う学生はどんなやつなんだ?

・高校の2年の終わりぐらいで進路について考える時に「あ!哲学を専攻しよう!」って考えるやつは何者何だよ。知り合いにいるなら紹介して欲しい。

Twitterで見かけるおもしろ論文タイトルは大抵哲学部から出ている。こんなのが論文になるのか疑問になることがある。

・俺自身、理系の人なので哲学について教養があんまりない。よく哲学を批判すると哲学者達は「全ての学問は哲学からきている」とかほざく。確かにそのことは知っているが、現代の学問で哲学と科学は離れ過ぎている気がする。

・最近、面白い文章を読んだ。よくその界隈では「谷村ノート」と呼ばれている物で、物理学者からみた哲学への疑問や批判などが書いてある。

谷村省吾「一物理学者が観た哲学」

・この文章は哲学への基本的なイメージなど、これまで哲学では一般的に善しとされてきたものへの批判や、哲学者達が科学的思考をしないことへの怒りみたいなのが文章から読み取れる。

・普通に学びとしてこの文章を読むんじゃなくて娯楽として普通に読める。我々一般人視点でも思う哲学への疑問や不満、よく分からなさ、みたいなのがうまく言葉になっている。

・ぜひ4章を読んで欲しい。面白いから。太文字の部分だけでもいいから、俺も4章しか読んでないし。

・ちょっと言葉を抜粋すると

いつまで経っても「主義」間の論争に決着が着く ことがなく、だらだらと生ぬるい議論を続けているように見える

・これは哲学者の議論の仕方について批判している。「だらだらと生ぬるい」と強めの批判を入れている。

 

物理学の知識の蓄積など、彼らの前では、 無に等しい扱いである。哲学者たちはそうやって、百年経っても、千年経っても、他の 学問の知識の蓄積・洗練とは無関係に、大いなる疑問を掲げて、振り出しに戻って、議論を繰り返すつもりなのだろうか。

・科学などの常識や通説、当たり前とされてきた事を疑うのが好きな哲学者達は当たり前のように、議論を振り出しに戻しがちである。

・ある哲学者が「哲学は進歩しない」的なこと言ってたのを思い出した。

 

哲学者たちは、あなたがたのおそらく唯一の武器である言葉と論理さえ使いこなしていない。

・実験や観察、計算、論理などが科学の武器とするなら、哲学者達の武器は言葉と論理であるが。しかしその”言葉と論理”という哲学の方法に対しても「時代遅れの、錆びついた、お粗末で偏狭な方法である。」とも言っている。

 

・この文章に対して哲学者達は怒ったり、意見したりしているらしい。

・そりゃあ、ここまでかかれたら怒るよな...

・哲学を専攻していた人と話がしたい。

 

 

 

 

トングをカチカチするやつは小心者

・地元に「午後の食パン これ半端ないって!」って名前のパン屋がある

・一般的なお店は見た目に気をかけて、店内をよく見せたり、看板を凝ったものにするのが普通であるが、ある程度のコストがかかったりする。それに比べて店の名前を目を引くものにするのは特別コストのかかるものではない。意外と思いつかなかった。普通にいい案だとおもう。

・現在はお店はWEB上で探すのが一般的なので、名前が奇抜なのはインターネット上では店の外観よりも伝わりやすい。

・この「午後の食パン これ半端ないって!」をプロデュースしているジャパンベーカリーマーケティング株式会社はこの店名を奇抜にするのに味をしめて、いろんな名前のパン屋をプロデュースしている。

・TOTSZEN BAKER’S KITCHEN(神奈川県横浜市港北区
・考えた人すごいわ 国分寺店(東京都国分寺市)[2]
・どんだけ自己中 荻窪店(東京都杉並区)[3]
・午後の食パン これ半端ないって! 能見台店(神奈川県横浜市金沢区)[4]
・わたし入籍します(大阪府枚方市大垣内町)[5]
・考えた人すごいわ 仙台店(宮城県仙台市青葉区)[6]
・モノが違う(埼玉県さいたま市北区)[7]
・こ令和すごすぎる件(長崎県佐世保市権常寺)[8]
・もう言葉がでません(鳥取県鳥取市吉成)[9]
・別格(京都府京都市中京区)[10]
・偉大なる発明 小倉店(福岡県北九州市小倉北区)[11]
・真打ち登場 大山東口店(東京都板橋区)[12]
・生とサザンと完熟ボディ(神奈川県茅ケ崎市新栄町)[13]
・くちびるが止まらない(宮崎県宮崎市神宮東)[14]
・キスの約束しませんか(大阪府東大阪市足代)[15]
・あらやだ奥さん(三重県桑名市)[16]

*1

・意外とどれも人気店で、ちょっと前に流行った「高級食パンブーム」の火付け役らしい。

・すごいのが同じところがプロデゥースしているのに、変な名前に一切の法則性が見つけられないところだ。「これ半端ないって!」とか「令和すごすぎる件」とかは流行語を使用しているが、「生とサザンと完熟ボディ」とか「キスの約束しませんか」、「あらやだ奥さん」はセクシーな表現を使用している。この店名をつけた人の思想が読めない。

・店名とはその店の店主のある種の願いみたいな物が詰まっていたり、意思であったり思想やその店主自身や場所に関係する物がつけられるのが一般的である。

・しかし、この奇抜なパン屋達は店名に何が込められているのか全く分からない。ただパンがすげぇって言うのは伝わるが...

・名前が意味の分からない(伝わり辛い)物にするのはパンやの店名だけではなく最近はいろいろな芸術作品(文学、音楽、美術品)に使われている

・(追記)昔の絵画などは作者が題名をつけるのではなく、絵を管理する人などが管理しやすいようにある種のIDみたいな感じで題名をふったらしい。

現代アートとかはわかりやすい例で作品を分かりにくく表現して、名前を分かりにくくつけている。それは作品を受け取る側の読みや気づきを大切にしている。逆に昔の絵画はすごくストレートな題名がつけられているのばっかだし(昔の絵画の題名は後からつけられてるかもしれないが)。

・最近の歌でも題名と歌詞の内容が大きく乖離している物が多い気がする。昔に流行ったJPOPや演歌は歌詞中に題名が出てきたり、題名に属した言葉が使われていた。

・名前にわかりやすい意味を持たせる時代は終わったのかもしれない、今の子供達の名前も複雑な意味を持たせた名前が増えているし、一見分かりづらい名前が多い。一郎、二郎みたいな簡単な名前はもういないだろう

*1: Wikipedia -岸本拓也

幽霊のなったならそんなとこにいない

・毎回思うことがある。怖い話とかで出てくる幽霊の出現場所って大抵墓場やトンネル、廃病棟だけど、幽霊の立場になって考えたらそんな場所居たくないよな。

・なんでそんな薄気味悪いところにいなければならないのかわからない。普通にディズニーランドとか富士急ハイランドとかにいたい。

・だから本当は一番幽霊が多い場所って東京ディズニーランドなんじゃないかって思ってる。人気スポットだからね。幽霊にも人気だよね。

・逆に墓地とか廃病棟には絶対いたくない。怖いし、ヤンキーとかたまってそうだし。

・幽霊になったら写真には写りにいきたいよね。心霊写真が紹介されるTVとかに出れるかもしれないから。録画しておきたい。

 

・特に信じられないのが人につくタイプと霊だ。ずっとついて回るのきもくないか、普通の倫理観を持っていたら普通出来ないよな。守護霊とか

 

・俺は特に幽霊とか神様、占いを信じていない。墓参りとか初詣とかは行くけど心から信じてはいない。

・だからと言って地蔵をぶち壊したり、賽銭箱にゴミ入れたり、墓石に中指立てたりはできない。それは「バチが当たりそう」って普通に思う。

・この場合、この「バチ」ってだれが与えるのか。神様も幽霊も信じていない俺が何を怖がって非道徳的なことができないんだろう。 

・答えは特にない。問いかけただけ

もしも、先輩の彼女がいまいちだった場合

・最近の話じゃないけど、写真を見せてもらった先輩の彼女がブスだった。

・こんな話はよく聞くが、本当に体験したのは初めてだった。

・本当にあせった当時の俺は「へぇ~、あ、はいはい、あ」みたいな言葉しか出なかった。本当になさけない。こんなことならば見なければよかった。嘘でもいいから「えー!かわいいですね、」みたいなこと言っておけばよかったと思った。

・反対の先輩側に立って考えてみれば、どんな反応するかドキドキなのに後輩から「へぇ~、あ、はいはい、あ」みたいな反応されたらメッチャ嫌だな。ほとんどブスって言ってるようなもんだな。

・いまだにこれに対する正解の反応を探してる。いいのがあったら教えてほしい。

・よく言う、「いい人そう」はもう言われすぎて、ほぼブスと言っているようなものだ。誰だよ、この言葉に対してツッコミを入れ始めたやつ。

・「かわいいですね。」っていうのもなんか違う気がしてる。嘘だし。

・「かわいらしい子ですね。」はどうだろう。「かわいい」と断定するのではなく、「らしい」をつけることによって言葉を曖昧にすることができる。これなら嘘でも気兼ねなく言える気がする。