「哲学かよ」って突っ込む奴ら

・ちょっと深い話や、常識を疑ってみたりすると、「哲学かよ!」ってツッコむ友達居ませんでした?私の周りにはたくさん居ました。そうゆうやつって大抵浅いやつだよな

・そもそも哲学って何?大学の哲学科に通う学生はどんなやつなんだ?

・高校の2年の終わりぐらいで進路について考える時に「あ!哲学を専攻しよう!」って考えるやつは何者何だよ。知り合いにいるなら紹介して欲しい。

Twitterで見かけるおもしろ論文タイトルは大抵哲学部から出ている。こんなのが論文になるのか疑問になることがある。

・俺自身、理系の人なので哲学について教養があんまりない。よく哲学を批判すると哲学者達は「全ての学問は哲学からきている」とかほざく。確かにそのことは知っているが、現代の学問で哲学と科学は離れ過ぎている気がする。

・最近、面白い文章を読んだ。よくその界隈では「谷村ノート」と呼ばれている物で、物理学者からみた哲学への疑問や批判などが書いてある。

谷村省吾「一物理学者が観た哲学」

・この文章は哲学への基本的なイメージなど、これまで哲学では一般的に善しとされてきたものへの批判や、哲学者達が科学的思考をしないことへの怒りみたいなのが文章から読み取れる。

・普通に学びとしてこの文章を読むんじゃなくて娯楽として普通に読める。我々一般人視点でも思う哲学への疑問や不満、よく分からなさ、みたいなのがうまく言葉になっている。

・ぜひ4章を読んで欲しい。面白いから。太文字の部分だけでもいいから、俺も4章しか読んでないし。

・ちょっと言葉を抜粋すると

いつまで経っても「主義」間の論争に決着が着く ことがなく、だらだらと生ぬるい議論を続けているように見える

・これは哲学者の議論の仕方について批判している。「だらだらと生ぬるい」と強めの批判を入れている。

 

物理学の知識の蓄積など、彼らの前では、 無に等しい扱いである。哲学者たちはそうやって、百年経っても、千年経っても、他の 学問の知識の蓄積・洗練とは無関係に、大いなる疑問を掲げて、振り出しに戻って、議論を繰り返すつもりなのだろうか。

・科学などの常識や通説、当たり前とされてきた事を疑うのが好きな哲学者達は当たり前のように、議論を振り出しに戻しがちである。

・ある哲学者が「哲学は進歩しない」的なこと言ってたのを思い出した。

 

哲学者たちは、あなたがたのおそらく唯一の武器である言葉と論理さえ使いこなしていない。

・実験や観察、計算、論理などが科学の武器とするなら、哲学者達の武器は言葉と論理であるが。しかしその”言葉と論理”という哲学の方法に対しても「時代遅れの、錆びついた、お粗末で偏狭な方法である。」とも言っている。

 

・この文章に対して哲学者達は怒ったり、意見したりしているらしい。

・そりゃあ、ここまでかかれたら怒るよな...

・哲学を専攻していた人と話がしたい。